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東京高等裁判所 昭和56年(ツ)47号 判決

上告人 金塚巌

上告人 金塚アヤ

右両名訴訟代理人弁護士 佐藤恒男

被上告人 塙藤兵衛

右訴訟代理人弁護士 飯塚芳夫

主文

原判決を破棄する。

本件を水戸地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人佐藤恒男の上告理由二について

原審が認定したところによれば、被上告人は、(1) 戦前九七五番二土地を第三者から賃借していた間に、田であった右土地の一部を埋め立てて宅地にし、地上に居宅を建築し、次いで本件係争地の北側部分にその一部がかかる物置を建築し、(2) 昭和二二年三月三一日、自作農創設特別措置法に基づき九七五番二土地の売渡しを受けて所有権を取得した後、昭和二七年から二八年にかけて、九七五番二土地に盛土をして、木小屋、次いで肥料小屋を建築し、(3) 昭和三二、三年ころ、前記物置に接して、その東側に当たる本件係争地上に牛小屋を建築し、さらに、そのころから本件係争地のおよそ南側半分を県道への通路として使用してきたが、その際、右牛小屋の敷地部分と通路部分に盛土をし、(4) 以上の経緯により、遅くとも昭和三三年から現在に至るまで本件係争地全部の占有を継続し、(5) しかも、右占有の始め無過失であったので、昭和三三年から一〇年の期間の経過により、本件係争地の所有権を取得するに至ったというのである。

ところで、原判決は被上告人が無過失であったことの根拠の一つを被上告人が昭和三二、三年ころ前記牛小屋の敷地及び通路部分の埋立ないし盛土をした際隣の田との境である畦畔を越えなかった事実に求めるようである。

しかし、原判文を通覧すれば、右盛土は原判決添付図面イチト各点に該当する地点を順次直線で結んだ線まで及んだものであること、原判決のいう畦畔なるものは右の線に添って存在すると認定されたものと解するほかないこと、しかも右盛土をした当該土地の大部分が上告人金塚巌の所有であること当事者間に争いのない九七六番二土地の一部に属することは明らかであり、そうであるとすると、右畦畔が真実前記個所に存在していたとすると、右畦畔は一筆の田を複数に分つものであるとみなければならない。なるほど、被上告人が右畦畔を越えて盛土をしなかったのは盛土部分を含む本件係争地を自己の所有と信じたからであるという推論が成り立つから、被上告人の該行為は同人が善意であったとの推定を強めるものであるということはできるであろう。しかし、客観的に一筆の田を複数に分つにすぎない畦畔を越えて盛土しなかったことから直ちに被上告人が無過失であったという判断を導き出すことができるものとは考えられない。しかも、翻って考えるに、「隣の田との境である畦畔」という原判決の表現はあたかも前記イチト線以北の土地を被上告人の所有地であるとしているもののようにも解せられ(そのような認定することが当事者間に争いのない事実に抵触する点はここでは措く。)、もしそうであるとすると被上告人の所有権の範囲及び帰属が客観的に分明であることになって、そもそも民法一六二条の規定を適用すべき限りではないのである。これを要するに、被上告人が前記牛小屋の敷地及び通路部分の盛土をする際隣の田との境である畦畔を越えなかった事実を根拠の一つとして被上告人の無過失をいう原判決は、他に挙示する根拠、すなわち被上告人が本件係争地の占有を開始した当時上告人らが異議を述べなかったとの事実のみでは直ちに被上告人の無過失を肯認することができない以上、結局民法一六二条の解釈適用を誤った違法がある。

のみならず、民法一六二条二項の規定する取得時効は、占有者が一〇年間所有の意思をもって平穏かつ公然に不動産を占有し、その占有の始め善意無過失であったことを要件とするものであり、このうち一〇年間の占有及び無過失以外の事実は、同法一八六条によって推定されるのであるが、推定が働くからといって、原審のように具体的事件において該推定事実を判文上確定することなく、単に一〇年間不動産を占有したことと占有の始め無過失であったことのみを根拠に、所有権の取得時効を認めるがごときことの許されないのはいうまでもなく、原審の右判断は、同条項の適用を誤ったものというべきである。

そして、叙上違法が判決に影響を及ぼすことも明らかである。

よって、右論旨は、理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れず、本件につきさらに審理を尽させるため、これを原審に差し戻すこととする。

よって、民訴法四〇七条一項に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 蕪山厳 裁判官 真榮田哲 塩谷雄)

〈以下省略〉

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